聖典から紐解く ”新人類宇宙哲学”



 -終幕-





私が、”世欲的な聖書”を初めて目にしたのは、10代の頃で、
”黙示録”の項が一番印象強く、
その時は、とても受け入れられる内容ではありませんでした。
・・・そのような事柄も最近まで、受け入れてはいませんでした。・・・
最初に目にしてから、15年以上経った今、今度は本格的なキリスト教の聖典を
再び目にすることになり・・不思議と今は理解できるのです。
”確かめるため”に、私はそれを見ることになったのです。
書かれている内容はそのまま読んでも、後世に書き加えられている事が多いようで、
物事の真髄が見えにくくなっています。
そして、時を同じくして、この書に巡り会えた事は、とても感謝しています。
私も愛を一番に大切とし、キリスト教も愛を基本に謳っています。
また、偉大なものの存在の、啓示の一致は、真に驚くべく限りです。
第三者の方が、これを見て、私は洗脳されていると思われるかもしれませんが、
そうではない事が、はっきりしております。
私にも”啓示の事象”があり、既に現実として確認済みなのです。
自分でもその符合に非常に驚き、それは”神の業”としか、言い表しようがございません。
”導き手”もそれに対し、畏れを感じているのです。
そして、このページをもって、これについて皆様に語る事は最後であり、これが全てです。

・・・最後に・・・
終焉の時、人には三つの選択ができる事を教えましょう。

一つは、裁きで死を選ぶ事。

もう一つは、裁かれずに逃げる事。
これは、”地球人類以外の者に安易に助けを求めてしまう事”にあたりますが、
既に前述している様に、これを選んだ者達は、魂を抜かれ、
動物以下の状態のまま、死ぬまで、永延と生きなければならなくなります。

残りの一つは、裁きに耐え、愛と共に永く生きる喜びを選ぶ事。
これに至る道は非常に細く、忍耐しなければなりません。

そして、それを決めるのは、” あなた自身 ”なのです。
大いなる幸運があなたの元にありますように、祈るばかりです・・・。
それまでの猶予は、後、少しです。




by緋月 貴子

2003年作品 無断使用禁止

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