私が、”世欲的な聖書”を初めて目にしたのは、10代の頃で、 ”黙示録”の項が一番印象強く、 その時は、とても受け入れられる内容ではありませんでした。 ・・・そのような事柄も最近まで、受け入れてはいませんでした。・・・ 最初に目にしてから、15年以上経った今、今度は本格的なキリスト教の聖典を 再び目にすることになり・・不思議と今は理解できるのです。 ”確かめるため”に、私はそれを見ることになったのです。 書かれている内容はそのまま読んでも、後世に書き加えられている事が多いようで、 物事の真髄が見えにくくなっています。 そして、時を同じくして、この書に巡り会えた事は、とても感謝しています。 私も愛を一番に大切とし、キリスト教も愛を基本に謳っています。 また、偉大なものの存在の、啓示の一致は、真に驚くべく限りです。 第三者の方が、これを見て、私は洗脳されていると思われるかもしれませんが、 そうではない事が、はっきりしております。 私にも”啓示の事象”があり、既に現実として確認済みなのです。 自分でもその符合に非常に驚き、それは”神の業”としか、言い表しようがございません。 ”導き手”もそれに対し、畏れを感じているのです。 そして、このページをもって、これについて皆様に語る事は最後であり、これが全てです。 ![]()
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